思っているほど、人は自分を見ていない
ーSubstack発信でもやりがちな思い込みー
発信を始めたばかりの頃は、
投稿してもいいねもないし、
誰にも読まれてないと感じる時期がありました。
少しずつ反応をもらえるようになってくると、
自分の中で承認欲求が育っていった。
読んでくれている人がいる、
反応をくれてコメントをしてくれるという実感が、
いつの間にか
「みんながいつも読んでくれている」
という感覚にすり替わっていきました。
続けていると必ずと言っていいほど
陥ってしまうこの発信者の落とし穴、、、
じつは私も、
この落とし穴にしっかりはまった時期がありました。
突然ですが、
こんなお店を想像してください。
外から見ると
中はわいわいと楽しそうで雰囲気もいい、
お客さん同士も仲が良さそう。
でもなんとなく入りづらい。
勇気を出してドアを開けてみると、
カウンターは常連さんでいっぱいで、一斉にこっちを見ている。
マスターも常連さんもいたっていい人。
「いらっしゃいませ」だってちゃんと言ってくれた。
でも会話の内容が全部、
昨日の続き、
先週の続き、
去年からずっと通っている人たちだけが
知っている文脈の上で進んでいく。
初めて来たお客さんは、
なんの話をしているのかわからない。
楽しそうなのはわかるけど、
自分だけ置いてけぼりな感じがして、居心地が悪い。
長い時間いられないなと、そっとお店を出て行ってしまう。
マスターは「一見さんお断り」とは一言も言っていない。
むしろ新しい人にどんどん来てほしいと思っている。
でも、そういうお店を作ってしまっている。
かくいう私も、このお店を作っていました。
気づかないうちに、
常連さんだけのお店になっていた
自分の発信は見られているし、
読まれているという前提で話をしてしまっていたんです。
悪気は全くない。
毎日懸命に発信していると、ふしぎとそういう感覚になっていくもの。
でも現実はどうかというと、
Xのタイムラインは流れていくし、
Substackのメールは開かれない日もある。
むしろ開かない人の方が多い。
ライブも、たまたまその時間に都合がついた人だけがその場にいるだけ。
全部を追いかけてくれているとしたら、
本当に一握りの熱狂的なファンだけ。
それ以外のほとんどの人は、
もしかしたら今日初めて発信に出会ったかもしれない。
悲しいけど、それが現実。
SNSでの発信を6年続けてきて、
ライブをしているときも、
記事を書いているときも、
頭の中に常に置くようにしていることは、
「今この話を、初めて聞く人がいるかもしれない」
ライブの途中から参加した人にも、
話についてこられるかを意識しながら話すようにしている。
記事を書くときも、
他の記事を読んでいなくても伝わるかを基準にする。
いつも読んでくれている常連さんに向けて話すのではなく、
今日初めて訪れてくれた人がいても、ちゃんとそこに馴染めるように。
そういうことを、今は意識しています。
熱狂的なファンは、勝手に掘ってくれる
毎回新規の人のことばかり考えるって
大変じゃないかと思っていた時期もありました。
でも、結論から言うと大丈夫。
本当に発信を気に入ってくれている人は、
過去の記事もライブのアーカイブも、
自分で遡ってすべて読んでくれていた。
「前も話したからこのこと知ってるよね」
なんて言わなくても、
勝手に常連さんになってくれる。
だから私は毎回、初めての人に向けての入り口を作るようにしてます。
自分が思っているほど、人は自分を見ていない。
だからこそ、毎回ちゃんと入り口を作る。
それが6年続けてきて、私がたどり着いたことです。



今回の話は色々と刺さってしまう人が多い気がします。
勿論ワイもザクザク刺さってたけどな!(自戒)