なぜ今みんな、Substackがいいというのか【日本人のSNS疲れの正体と時代のニーズ】
2026年春〜初夏、日本のSNS界隈でSubstackという名前を聞かない日がなくなった。
有名な人が紹介したから広まった、というだけの話じゃなくて、もっと深いところに理由がある。
どのSNSも、同じ道を辿ってきたらしい
私がSNSで発信を始めたのは2020年のこと。
だからTwitter初期の空気を自分の目で見てきたわけじゃない。
でも今の状態から逆算すると、流行るSNSには必ず同じ流れがあるんだろうなと思っています。
自由に思ったことを書いて、共感してくれる人と繋がれる。
「やっと自分らしく発信できる」という、あの平和な空気と解放感。
そこにビジネスの匂いを嗅ぎつけた人たちが入ってくる。
場の空気が少しずつ変わっていく。
バズる投稿のパターンが固まり、ポジショントーク、批判、煽りが幅を利かせはじめる。
「この界隈で勝つか負けるか」みたいなピリついた雰囲気が漂いだす。
しだいに、書くことが苦しくなっていく。
煽りや批判が増えるのには、理由がある
なぜSNSは荒れていくのか。
「マナーの悪い人が増えるから」という話ではないと思っている。
SNSが成熟してくると、発信者から見て「新しいお客さん」が増えにくくなる。
似たようなことを発信している人が増えすぎて、ふつうの情報発信では埋もれてしまう。
限られたパイを奪い合う状態になっていく。
そうなると、目立つための手段が変わってくる。
「あの人のやり方は間違っている」という批判で相対的に自分を浮かび上がらせて
「これを知らないと損する」という言葉で注意を引きつける。
どちらも本質的には、縮んでいくパイを少しでも多く取ろうとする行動だ。
しかも煽りや偏ったポジショントークは、余裕のある人がやるものじゃない。
フォロワーが増えなくなった、売上が落ちてきた、じりじり追い詰められた人間がやることが多い。
場が荒れるのは、プラットフォームの末期症状みたいなもの。
SNS離れ、SNS疲れ、
疲弊のサイクルが終わりに近づいているサインだと思っている。
私自身、数字はデータだと自分に言い聞かせてきた
SNSの発信を何年も続けてきた。
大きな売上をあげた日も、反応が爆発した投稿もあった。
でも何度も繰り返し味わったのが、渾身の言葉が誰にも見つからずに流れていく、
あの「埋もれていく恐怖」だった。
数字はデータだ、感情で見るな。
そう頭に言い聞かせながら、それでも数字が下がるたびに、凹んでしまう。
これは私だけじゃないと思っていて、
真剣にやっている人ほど、数字に引きずられる。
そもそも、人が発信を始めるとき、根っこには
「誰かの役に立ちたかった」
「自分の想いや経験を伝えたかった」
受け取る側ではなく、与える側に回りたいという気持ちが、最初にある。
疲れているのは「発信すること」そのものじゃなくて「発信しているのに、誰かに届いている実感が持てないこと」だ。
でもSNSの仕組みは、
「与えているつもり」なのに、気づけば承認を待つ側に引き戻されている。
発信者たちが燃え尽きていくのは、与えられない場所に、ずっと立たされてきたからだと思う。
Substackが、今の時代にこたえた理由
もともとアメリカ発のサービスで、英語圏ではすでに大きな波が来ていた。
それが日本語対応の整備とともに、今まさに日本に上陸したタイミングが今だ。
Substackの核になる仕組みは、メール購読だ。
読者が「購読する」を押した瞬間から、その人のメールボックスに直接届く。
アルゴリズムは関係ない。
100人の購読者がいれば、100人全員に届く。
フォロワーが何万人いても投稿が数百人にしか届かない他のプラットフォームとは、根本的に話が違う。
しかもこのリストは、正しく管理することで自分の手元に残る財産になる。
プラットフォームが変わっても、アカウントが止められても、読者との繋がりは消えない。
見つけてもらったあの感覚
使い始めて気づいたことがある。
他のSNSで投稿するとき、私はいつも「届けよう」としている。
アルゴリズムを意識して、タイミングを考えて、反応を待つ。
Substackは、そうじゃない。
購読者がメールを開くのは、読み手自身の選択だ。
「あなたの言葉を、今日も読みに来ました」という、意思表示を感じられる。
これは「届ける」というより、読み手が自分から見つけに来てくれる感覚に近いように思う。
誰から「開いた」という行為が、リアルに嬉しく感じる。
ブログが全盛だったその昔、私は読者として好きなブロガーさんの新しい記事を毎日心待ちにしていた。
更新されているかな、とページを開く、あのわくわくした感覚。
流し見じゃなくて、その人の言葉を目当てにしっかり読みに行く感覚。
それがSubstackで再現されつつあるように思う。
結局、なぜ今Substackなのか
与えたいのに受け取ってもらえない、伝えたいのに伝わらない。
そういう息苦しさが積み重なった先に、Substackが現れた。
流行りの根っこに、時代の疲れと、人間の根っこにある欲求と、機能的な実用性がきれいに重なったからだと思う。
まだ始まったばかりの波を一番近くで体感できるのが、今この時期に動いた私たちだと思っている。



これは「届ける」というより、読み手が自分から見つけに来てくれる感覚に近いように思う。
~私もそう思う( ˊᵕˋ )💭
>「与えているつもり」なのに、気づけば承認を待つ側に引き戻されている。
コレ、他のSNSではデフォなので心身ともに疲れていくんですよね( ˙-˙ )スン…
Substackも徐々に他のSNSでブイブイいわせてた人が増えてきてますが、そもそもの土台が違うので染まらないと思いつつも、まぁどうなるか?ってのは正直ありますよね~